山手線は実は輪になっているわけではない?

山手線が輪の形になっていると思っている人も多いのではないでしょうか。路線図では一見すると丸い輪になっているように見えますが、実は3つの沿線によって成り立っているのです。品川から田端までが山手線、田端と東京間は東北本線、東京から品川までの間は東海道本線に分けられています。そのため、線路名称で言うと「山手線に乗ると一周することができる」という表現は正確ではありません。正しくは、山手線・東北本線・東海道本線の3つがつながって環状線になっているのです。線路名称では山手線の駅は、品川から田端間の17駅となります。ただし、運転系統上は品川から田町まで29駅と数えるのが一般的です。それぞれの沿線が敷設された時期が異なるため、現在の環状運行が行われるまでに53年もの期間を要しています。全長34.5kmある運転系統上の山手線のうち一番初めに敷設されたのは、新橋から品川間の4.9kmの部分です。その後、池袋と田端間や新橋と東京間などの工事が行われて、神田と上野のエリアが最後につながりました。
山手線は環状運行をしているのが当たり前のように思われていますが、1919年に東京と神田の区間が完成してからは中央線の中野を出発し、新宿から東京を経由するスタイルが利用されていました。東京から品川を通り再び新宿を通り上野を目指す「の」の字運行が行われていたのは、およそ6年間です。とてもレアな「の」の字運行を知らない人は大勢います。1925年にめずらしい運行スタイルも幕を閉じ、それから現在まで長い間環状運行が行われているのです。
池袋と田端間が完成した1903年当時は、池袋から赤羽までの区間も山手線と呼ばれていましたが、1972年に名称が変更され赤羽線として分けられました。山手線が丸い形で運行されるようになるまでには、レアな「の」の字運行や赤羽まで運行が行われていたというヒストリーがあるのです。また、山手線が完成してからも第2の山手線を造るという計画がありました。山手線の外周が候補地になっていましたが、関東大震災や資金難が原因で実現することはありませんでした。世田谷・杉並・練馬などを通過する沿線を目指していたため、京王井の頭線明大前駅などの周辺エリアには必要以上の橋桁が今でも残っています。第2の山手線計画は立ち消えになったものの、その後に大井町線や世田谷線など利便性に優れた沿線が誕生しているのが特徴です。